鈴木政吉生誕祭「バイオリン王鈴木政吉の自作楽器で奏でる嗜好の響き」を開催します!
鈴木政吉生誕祭「バイオリン王鈴木政吉の自作楽器で奏でる嗜好の響き」を開催します!
日本のバイオリン王・鈴木政吉本人が製作した楽器の音色をセントラル愛知交響楽団の弦楽四重奏で存分にお楽しみください。バイオリン王の創り出した珠玉の音色が最新のメンテナンス技術で現代に響き渡ります。
◆日時/12月8日(日)開場13:30 開演14:00
◆場所/愛三文化会館 もちのきホール
◆出演/1部MASH弦楽団、2部セントラル愛知交響楽団
◆料金/前売り:一般2,000円、高校生以下1,000円
当日:一般2,500円、高校生以下1,500円
※未就学児入場不可
※託児サービスご希望の方は12月5日(木)までにNPO法人ネットワーク大府(0562-85-7028)までにお申し込みください。お子様お一人につき1,000円
◆出演プロフィール
▼MASH弦楽団
2017年にバイオリンのRuriを中心に結成された弦楽器のみの編成のジプシージャズバンド。
超絶テクニックと息のあったアンサンブルを売りとしていて、時に哀しく時に激しく哀愁漂うメロディで日本ではまだ馴染みのないジプシージャズを普及させている。
すみだジャズや阿佐ヶ谷ジャズ、高円寺フェス等のジャズフェスや帝国ホテル、メズム東京、東京ソラマチ等の施設、台北、フランスなどの国内に限らず様々なライブハウスやイベント等で活動中。
2019年ジプシージャズの発祥の地フランスにてパリのLapin Agile、Atelier58、リヨンのCAFE CHARMANTなどで演奏。
2024年9月に鈴木バイオリンのテーマ曲”King Of The Violin”~SUZUKI協奏曲~をリリース。
▼セントラル愛知交響楽団
●寺田 史人(Violin)
桐朋学園大学音楽学部ディプロマコース、チェコ共和国プラハ音楽院で学び、カルロヴィ・ヴァリ交響楽団第一ヴァイオリン奏者、西チェコ交響楽団コンサートマスターを経て、現在セントラル愛知交響楽団コンサートマスター。寺田弦楽四重奏団主宰、プシャーテルカルテットメンバー。名古屋芸術大学非常勤講師、金城学院大学非常勤講師、ヤマハミュージックジャパン講師。コンクールの審査員、市民オーケストラの指導なども務める。寺田弦楽四重奏団として第12回名古屋音楽ペンクラブ賞受賞。
●荒巻 理恵(Violin)
愛知県立芸術大学音楽学部音楽科器楽専攻(弦楽器)卒業。同大学研修生を修了。ヴァイオリンを矢島恭子、水野佐知香、岡山潔、服部芳子、デヴィッド・ノーランの各氏に、室内楽を天野武子、桐山建志の各氏に師事。現在は東海地方を中心に、ソロ、室内楽、オーケストラ等幅広く演奏活動を行うとともに、後進の指導にもあたっている。
●為貝 香織(Viola)
武蔵野音楽大学音楽学部卒業、その後桐朋オーケストラ・アカデミーに進学し研鑽を積む。アカデミー在学中にヴィオラに転向。第15回、第17回アフィニス夏の音楽祭、クールシュベル夏期音楽祭、シエナ・キジアーナ音楽院夏期セミナーに参加。Quartet Loquiヴィオラ奏者。
●波多 和馬(Cello)
香川県出身。愛知県立芸術大学を経て、同大学大学院博士前期課程修了。2008年、第25回香川ジュニア音楽コンクール弦楽器部門、金賞。2019年、第1回P-NEXTチェロコンクール(豊田市)にて優秀賞を受賞。現在は東海地方と香川県を拠点に、室内楽やオーケストラの客演奏者として活動を行っている。これまでに、チェロを榎並歌織、天野武子、花崎薫の各氏に師事。クラウス・カンギーサー、ルドヴィート・カンタ各氏によるマスタークラスを受講。
◆鈴木政吉氏と大府
日本のバイオリン王と呼ばれる鈴木政吉は、日本を代表する弦楽器メーカーである「鈴木バイオリン製造」の創業者である。
政吉は、尾張藩の下級武士の鈴木正治・たに夫婦の次男として、1859年に名古屋で生まれた。家業である三味線作りに従事しながら、音楽教師の道を目指していた1887年に、知人が購入した日本製バイオリンを目にして魅了された政吉は、音楽教師への道をやめ、1888年、家業を三味線作りからバイオリン製造へと変更した。
1890年3月に開催された第3回内国勧業博覧会にバイオリンを出品、最高位である3等有功賞を受賞し、その後も次々と国内外の博覧会にバイオリンなどの製品を出品し、数々の賞を受賞した。「いいものを安く作って売ること」を会社の信条として、明治後半頃から、工場生産によるバイオリンの量産化に成功し、1914年、第一次世界大戦の影響で世界各国からの注文に対応して、輸出事業を拡大し、従業員数が1,000人を超えるほどの世界的楽器メーカーとなった。
また、政吉製バイオリンは皇室がお買上げになったり、物理学者のアインシュタインにも贈呈され、アインシュタイン本人から政吉に礼状が送られた記録も残っている。
1930年、個人経営から株式会社へと事業形態を変えたが、世界恐慌の影響により経営が立ち行かず、1934年政吉は社長の座を退いた。会社の立て直しに奔走していた長男梅雄は、ドイツの楽器生産の村「マルクノイキルヘン」を再現しようと、知多郡大府町大字横根字名高山(現在の梶田町六丁目)に大府分工場を新設した。政吉は、同分工場隣接地に転居し、邸内に新設した「済韻研究所」でバイオリンの研究に励み、1944年満84歳の生涯を閉じた。
その後、戦争による経済統制、資材不足から楽器製造はままならなくなり、1944年の楽器製造全面廃止により、大府分工場は、三菱重工業名古屋航空機製作所に買収され、同工場の歴史は幕を閉じた。